突然ですが、あなたは君が代を学校で児童生徒に暗記させることに賛成ですか?
それとも反対ですか?
一見全然関係の無いように思えるこの問題があなたのプレゼンテーション能力、交渉能力を飛躍的に高める糸口になります。今回はそれを詳しく解説させて頂きますので、最後まで必ずお読みください。
先ず初めに、これはある日の私と妻の会話です。私も妻も京都教育大学を出ており、教員免許を持っているのですが、たまたまニュースで君が代を暗記している児童生徒の数の調査委が行われ、それが「国家を強制することに繋がっていく」という非難に繋がり、暗唱させるべきであるという学校教育に賛成か反対かという話になりました。
初めに誤解のないように書いておくと日本国に勤める公立学校の小学校教員が君が代を斉唱しないことは職務命令違反として罰せられますが、児童生徒にはそういった罰はありません。ただ、学習指導要領では君が代を教えるようにはしています。
今回はあくまでも、夫婦間で暗記を義務付けることは妥当か否かという過程の議論です。
私の妻は反対であるという意見です。その理由は「そういったことを子供に強制させるのは良くないから。何事も強制させるのは良くないから」ということです。
一見非常に分かりやすく単純明快で、裏表のない意見です。ネット上では、こういった短く分かりやすい回答が好まれるのも事実で、私のように無料ブログのくせに5000字から1万字書くようなブログは「長い」「分かりにくい」「難しい」という評価を受けがちです。
ですが、本当にそうでしょうか?
本当に短く簡潔に述べることが説得力を持つでしょうか?
おそらくこれは初めから君が代反対派にとっては「その通りだ!」となるのでしょうが、君が代くらいは暗唱すべきであるという人の心を動かすことは出来ないし、もっと重要なことは中立派の心を動かすことが出来ないということです。
セールスはノーをイエスに変えることではありません。「考えたこともなかった」から「よし、買ってみよう!」にすることであり、「もうちょっと考えたい」を「よし、買ってみよう!」にすることです。
「つまり、こちらのオンラインスクールはあのオリンピック男子マラソン代表の藤原新さんからも大絶賛して頂いているオンラインスクールで、長距離走、マラソンが劇的に速くなるんです」という文言は分かりやすいけれど、それだけでは売れないということです。きっかけとしては、もっと話を聞いてみようとなるかもしれませんが、それだけでは買おうとはならないのです。
では、どういう論証過程をたどれば良いのでしょうか?
先ずは君が代の暗唱を強制すべきではないとか、そもそもたまに式典などで君が代の斉唱を拒否する人たちがいますが、そういった人たちの根拠を見ていきましょう。
基本的な考え方としては、第二次世界大戦時の記憶というか出来事に結びついています。天皇陛下を頂点とする全体主義的な考え方や八紘一宇の思想が軍国主義を強くし、日本人とアジアの多くの人の命を殺め、人権を蹂躙する結果に繋がったことからそういった天皇陛下万歳に近いような国家を全員に強制的に歌わせることは良くないというのが主張の主な根拠です。
また歌詞の内容を見ても君が代とはつまり天皇陛下の代のことであり、天皇陛下の治世が長く続きますようにという歌であり、天皇陛下を崇拝する曲だというようなことも主張の根拠になると思います。
これも問題となるところですが、君が代を斉唱しないということと暗唱を強制するということは別問題です。自身の主義主張として君が代を歌っても良いし、歌わなくても良い、ただそれを義務教育の過程で義務にしてしまうのは、やはり全体主義的な思想に繋がり、個人の幸福や人権が脅かされかねないというのも主張のポイントです。
では、次に国家の暗唱くらいは義務であるとする方の主張を見ていきましょう。
先ず第一に、国歌の意味合いと言うのは何かということですが、共通の歌や言語をもつことが国民としての一体感を高めることは間違いありません。全体主義的な発想に繋がるということに関して言えば、その程度の多少は別にして事実でしょう。しかし、それは同時に一体感を増すということでもあります。
普段はあまり意識することがないかもしれませんが、外国が日本に侵略を企てるような場合においては、やはり国家単位で立ち向かわないと守るのは難しいです。というか無理でしょう。民間で一番強いのは暴力団かもしれませんが、どれだけ規模が大きい暴力団でも警察や自衛隊にはかなわないでしょう。
歴史的に見れば、他国からの侵略を受け、植民地になり、奴隷のような扱いをうけたり、殺されたり、拷問されたりというのは普通のことですから、これは突拍子もない発想ではありません。寧ろ、平和な時代の方が少ないというか、全世界で見れば平和が実現されたことは有史以来一度もありません。今も世界のどこかで戦争や紛争は行われています。
また、災害の際なども少なくとも共通の言語や歌を持っていることは最低限の一体感や連帯感を保つ上で大きな役割を果たします。
また、童謡を含めてこういった古い歌を暗記することは、美しい日本語の習得にも大いに役立ちます。皆さん、小さいころ「ウサギ追いしあの山。こぶなつりしかの川」って意味分かってましたか?
私はウサギ美味しいあの山、子豚釣りしかの川」だと思っていました。他にもそういうふうに思っていた人いるのではないでしょうか?
昔は意味も分からずに暗記して覚えていましたが、それが体に染みついており、高校生くらいになると「追いし」は「追う」という動詞に過去の助動詞「し」がついた形であの山はのあのは指示語、こぶなは魚でつりしは「釣る」という動詞に過去の助動詞「し」がついた形で「かの」も指示語であるということが次第に分かってきます。
つまり、君が代に限らず昔からある歌を覚えることは日本語教育にとっても良いことなのです。その中でも、君が代は歌詞も短く美しく日本語教育にはもってこいです。長くて覚えるのが困難ならまだしもたった32字で日本語の音感が入った非常に優れた曲だと言えます。
以上が、それぞれの立場からみた大まかな主張のポイント、つまりメリット、デメリットになります。次に論証するのはメリット、デメリットのどちらが上回るのかということです。
先ず反対派の君が代の暗唱を義務付けることが天皇陛下万歳的な思想や軍国主義、全体主義的な思想に繋がるということですが、これは本当にそうでしょうか?
もしも、君が代が1930年から1945年くらいまでのあの時代に作られた曲で、本当に天皇陛下を礼賛する曲であるならばこの主張は正しいと思います。これがナチスのハーケンクロイツやローマ式敬礼が禁止されるべき理由と君が代や日の丸の禁止が妥当ではない大きな違いですが、君が代や日の丸はある特定の人物や政党、団体の為に作られたものではなく、昔からあったものをある日いきなりこれを国歌にして、これを国旗にしようと定めたものなのです。
君が代に関しては1000年以上も前の古今和歌集の中にある歌で、しかも誰が読んだかもわかりません。いわゆる読み人知らずです。当然ですが、八紘一宇の思想や軍国主義とは全く関係がないんですね。
日本と言う国は、ヨーロッパと違い天皇陛下を頂点とする一つの国家という意識がかなり早い段階から芽生えていました。だから、武士が実権を握っていた時代においても形式上は天皇陛下を頂点とした一つの国なんです。
これがどういった違いを生み出したかと言うとヨーロッパでは基本的にキングを頂点とした国と国の戦争であり、まさに民族の存亡をかけた争いで負けた方は勝った方の奴隷になるというのが基本です。
日本の戦においても乱取りと呼ばれる略奪や人さらい、強姦などがあったのは事実ですが、基本的には天皇陛下を頂点とした同じ国同士の闘いなので、負けても奴隷になるとか民族そのものが滅びるということではなく、勝った人がその国をきちんと治めることが求められました。
だから、それが出来なかった木曽義仲や一部の源氏は最終的に滅ぼされています。織田信長の天下が長く続かなかったのも自分に反対する一般市民を皆殺しにしたからかもしれません。実は本能寺の変も明智光秀のバックに朝廷がいたという説は濃厚です。
本来日本の戦は勝敗がついたら、大将の首を獲ってそこで勝負あり。それ以上は殺しあわないのが基本です。これがヨーロッパとの違いです。ちなみに、敵に塩を送るという言葉がありますが、別に敵には塩を送っていないです。敵と言うのはあくまでも、武士のことであって、その領内に住む一般人たちは別に敵ではないので、日本人的には普通の行為なのです。
戦時の混乱時においてある程度乱取りがあることは容認しつつも、いったん落ち着いたらその国と民をきちんと治めることが求められたのです。
そういう意味では、戊辰戦争は日本の歴史の中では稀有な戦いです。新政府軍が幕府軍の武士たちを皆殺しにし、その死体を野山にさらしているのです。その理由は、新政府軍と幕府軍の軍資金がどこから調達されていたかを調べれば分かります。親分は日本人ではなかったんです。興味のある方はご自身で調べてみて下さい。
そういった背景も理解して、君が代は千代に八千代に(天皇陛下の治世が千代も八千代も)細石の巌となりて(小さな石が集まって大きな岩を形成し)苔のむすまで(それに苔が生えるまでずっと続きますように)という平和を願う歌だともとれる訳です。
また、お隣の中国と比較しても更に違いが明確になるのですが、日本の場合は第二次世界大戦においても大日本帝国軍や皇軍というふうに呼ばれていました。基本的には日本国民の為の軍隊です。自衛隊も名前は違えど、日本国民を守るための軍隊です。防人という昔からの言葉が示す通りです。
ですが、中国には中国軍というのはありません。あれは共産軍です。つまり、中国人民のための軍隊ではなく、共産党の為の軍隊なので、中国国民が歯向かってきたときには共産軍でそれを鎮圧します。天安門事件はまさにそれが現実に起こった出来事です。
こういった国における共産党の旗とか共産党の歌とかいうのはかなり性質が異なります。これはある特定の政党や人物を称える歌として作られているので、それを義務教育で強制すれば民主主義の原理が働かなくなります。
一方で、君が代というのはそういう性質のものではなく、もう誰が書いたかも分からないくらい昔の歌をとりあえず国家として制定しているというものなのです。天皇陛下の代がずっと続くことを祈っている歌であることは事実ですが、日本と言うのは歴史的に誰が実権を握っていようと一応天皇陛下を頂点として据えておくことで最低限の平和が守られたという一面があるのです。
歴史を振り返ってみると、残虐な人間と善良な人間にはっきり分けられるかと言うとそうではありません。残虐な人間も家に帰れば善良な夫であったりします。では、何故残虐なことが出来るかと言うと道徳の対象とする線引きをどこにするかです。
皆様も普段は善良な民だと思いますが、普通に牛肉や豚肉や鶏肉を食べると思います。何故、そんな残虐なことが出来るかと言うと人間と家畜の間に明確な線引きをして家畜は道徳の対象外においているからです。
同様に、民族や人種は道徳の境界線上になりえます。異民族は同じ人間ではないから殺しても良いし、人身売買の対象になるのです。日本人が日本人に対して残虐行為をしたことももちろんあるのですが、諸外国に比べて比較的それが穏やかであったのは、天皇陛下を頂点として同じ日本人と言う共通意識のお陰であるという見方は出来なくはないです。
だから、対外戦争も長い歴史の中で1941年からの対米戦争以外負けていません。普段は互いに戦をしていても最低限日本人と言う共通意識を持てていたから有事の際には団結するという意識を共有出来ていたのが大きいのではないでしょうか。
こういった事柄を総合的に考えると、国家はハーケンクロイツのようにドイツ国家社会労働党の特定のシンボルであるとか、中国共産党を礼賛する歌であるとか、金正恩を礼賛する歌とかとは全然性質が異なるものなのです。
分量的にも32文字しかないので、私は義務教育の段階で暗唱を義務付けても良いと考えています。そもそも国家の暗記だけではなくて、九九の暗算やあいうえおが書けるようになることなども学習指導要領にはきちんと書かれていますから、そういったことと並んで国家の暗唱が学習指導要領に書かれていても何もおかしいことではないと思います。
ただ、それが国家の斉唱を強制するということになるとまた問題は出て来るかとは思います。個人の意志は尊重されるべきです。
つまり、歌えるけど歌わないのとそもそも歌えないのは別問題だということです。日本語教育の一環や万が一の際の日本人としての最低限の一体感を保つために国家を暗唱できるようにしておくべきです。
というここまでが論証過程なのですが、いかがでしたでしょうか?
結局最後まで読んでも国家を暗唱すべきかすべきでないかの意見は分かれると思います。これは商品のプレゼンテーションでも同じで、プレゼンが完璧ならば全員が買うかというとそうではないです。
しかし、説得力はだいぶ増したのではないでしょうか?
それは何故かと言うと、賛成派、反対派双方の意見を取り上げて、多角的に考察していったからです。
これはセールスプレゼンテーションも同じで、買うメリット、買うデメリットの双方から多角的に考察しないといけません。更に言えば、買わないなら他の選択肢を提示するのも一つだと思います。
そして、他の選択肢と比べてそれぞれのメリット、デメリットを比較した上で一つの考察を加えるというのも一つの方法です。
また、この過程においては一つ言えることは、どうしてもある程度の分量になるし、実はある程度分量は多い方が商品は売れるのです。これは価格にも比例します。
安い商品ほどプレゼンテーションに必要な分量は少なくて済みますし、価格が高くなればなるほどプレゼンテーションに必要な分量は多くなります。
今回の話なんて「国家を暗唱することを義務づけるかどうか」なんていうのは言ってみれば無料の商品です。内容もそんなに難しい話ではありません。日本の国家を全員歌えるようにすることを学習指導要領に明記するのかしないのかという話です。
ですが、やはり一言で説得力のある説明をすることは無理なんですね。それなりの分量が必要ですし、もっと詳しく説明しようと思えばもっと詳しく説明することも可能です。
そして、この教育方式のセールスプレゼンテーションの反応が良いもう一つの理由は買うにしろ買わないにしろ時間の無駄にはならないことです。見込み客と言うのは興味があるからこそ見込み客なのです。興味がない人は見込み客ではありませんし、そもそもセールスプレゼンテーションをするのは時間の無駄です。
見込み客に対してセールスプレゼンテーションをする訳ですから、見込み客は基本的にもっと知りたいんです。買うにしろ、買わないにしろ、自分が納得できる判断を下したいんです。だから、その納得できるだけの判断が出来るだけの判断材料を提供するのがセールスパーソンの仕事です。
もちろん、クロージングもしっかりとするのですが、基本的には向こうが勝手に決めてくれるので、それほど抵抗もなくすんなりと勝手に売れていきます。
最後の最後に私が非常に有効であるとするこのプレゼンテーション方法にそれでも反論が来ることを知っているのでお答えしましょう。
その反論内容とは「そんなことしなくても勝手に売れる商品が良い商品で、長々と説明しないといけないような商品は駄目な商品なのではないか」と。
これは経営者目線で言えば、当たっています。事業を拡大するには基本的に猿でも出来るようなシステムまで落とし込んでしまうことが大切です。その代表はマクドナルド、スターバックス、ミスタードーナッツなどの大手チェーン店です。そこで働いている人はより多くの訓練を受けているかと言うと必ずしもそうではありません。
寧ろ10代のほとんど訓練を受けていない高校生のアルバイトが多かったりします。経営者としてはそれが正しいのだと思います。
しかし、そこで働いている人たちは高収入ですか?
違いますよね?
確かに、食べ物なんかは見れば分かるので、それほどセールスプレゼン能力は必要ないでしょう。私が今滞在しているケニアのイテンと言う田舎町でも、野菜を売ったり、果物を売ったりすることは最も手っ取り早くお金を稼ぐ一つの方法です。
ですが、世の中には役には立つけれど、まだまだ知られていない商品もたくさんあります。そういった商品をきちんと説明して販売し、起業家としてやっていくとか、セールスパーソンとして高収入を得たいというのであれば、きちんと自分の口で、もしくは文章で説明が出来ないと売れるようにはなりません。
もう一度反論にお答えさせて頂きますが、「説明しなくても売れるような商品が良い商品じゃないのか」という反論に対しては「マクドナルドのハンバーガーやフライドポテトが最高の商品だというのであれば、その通りである。また、マクドナルドの店員こそがセールスパーソンとして最高の仕事であるというのであればその通りである」となります。
今回の内容は以上です。
最後にセールスについてもっと勉強したい方にお知らせです。私が元手無し、年収100万円台からインターネットだけで毎月100万円前後売り上げるまでに学んだことを約20万字にわたって書き連ねた拙著『情熱を金に変えろ』(3000円)の原稿データを現在PDFファイルで無料でプレゼントしています。
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