アドルフ・ヒトラーに学ぶカリスマ性を発揮する文章の書き方
こんにちは!
今回はアドルフ・ヒトラーに学ぶカリスマ性を発揮する文章の書き方をお伝えさせて頂きます。
先ず初めに考えて頂きたいのですが、そもそもカリスマ性とは何でしょうか?
カリスマ的存在と言うのは天才に近い意味でつかわれることもあります。ですが、私はカリスマと天才というのは少し違う言葉だと考えています。それは具体的な用例を見ていけば分かるのですが、ある分野における天才であったとしても、他人に影響を与えないような人はあまりカリスマ的存在とは言いません。
例えばですが、本当に絵の天才とか焼き物の天才とか数学の天才とか物理学の天才とかいう人でその人が孤独主義者で一切マスメディアにも出ず、自分の研究だけに没頭し、社会との関りを最低限しか持たない場合、その人はカリスマと呼ばれるでしょうか。
厳密な定義がない以上呼ばれないとも言い切れないですが、普通はあまり呼ばれないです。
一方で、カリスマ性があるとされる人はどういう人かというと何か指導的立場にある人や経営者など組織のリーダーである人が多いです。実際に辞書で調べてみると「霊の賜物(神から授かった伝道上の特殊な能力)(一般に多数の人たちに影響力を及ぼすし、これを心服させる個人の能力)」と出てきます。
商売をする上でも、セールスパーソンとして活動するにもこのカリスマ性が必要です。そして、このカリスマ性は先天的に持っている人もいますが、先天的にもっていなかったとしても100%後天的に身につけることが出来る能力です。
ただ、アドルフ・ヒトラーみたいにたった7人からスタートして国家権力を完全に掌握するようなカリスマ性は必要ありません。セールスパーソンにとっての必要なカリスマ性とはこの人の話を聞いても良い、この人になら自分の悩みや願望を正直に教えても良いと思ってもらえるだけのカリスマ性です。
契約を締結させることを英語でClose a dealと呼ぶので、一般的に商談をまとめる能力のことをクロージング能力とかクロージング技術と言います。ですが、クロージングだけはなくオープン能力も重要です。クロージングだけ上手くてもオープニングがへたなら何もなりません。
要するに、プレゼンテーションからクロージングが上手かったとしても、そもそもこの人の話を聞いても良い、この人の質問に正直に答えても良いと思ってもらえなければプレゼンテーションにすら進めないのです。プレゼンテーションに進めなければ当然契約はまとまりません。
単純計算で考えて、クロージング率が3分の1だとして、プレゼンテーションに進んだ人数が12人だと4人が成約したことになります。一方で、同じクロージング率が3分の1で、24人がプレゼンテーションに進んだとなると成約は8人で倍の成約になります。当然、収入は二倍になります。
この単純な計算からもオープニング能力がクロージング能力と同じくらい重要であることがお分かり頂けると思います。ちなみに、これは文章の場合も同じです。その文章の最後がプレゼンテーションに進むことを訴求しているのであれば、そもそも文章の序盤の段階で最後まで読んでも良いと思わせられないといけません。
また、文章の場合は一対一で説明する場合と違い、真剣に読んでもらうということも重要です。一対一で話をしていれば、集中力が途切れたとしても一人で文章を読むのと比べると格段に理解がしやすく、集中力が持続しやすいです。
一方で、一人で文章を読む場合は注意力が散漫になりがちです。やはり、読み手に真剣に読んでもらえるような文章を書くこともそのまま自分自身の収入に直結する能力になります。
基本的にはカリスマ性とは口調と身体言語によって実現されるものです。要は、その人の話し方と髪型や服装なども含めた立ち振る舞いです。アドルフ・ヒトラーは口調、ジェスチャー含めて非常に演説が上手かったことでも有名です。
ですが、カリスマ性は演説だけではなく(つまり、動画、ズーム、対面だけではなく)、文章でも出せます。そのことを理解するにはカリスマ性の二大要素を理解しておく必要があります。人は一体どんな人の言う事を聞くのでしょうか。それは以下の二つの要素に該当する人です。
・基本的に自分と同じような人である(親和性)
・自分のことを気にかけてくれている
人は似たもの同士が惹かれ合うものがあります。お互いに違うから惹かれることもありますが、それは前提としてお互いに似ており、その中の違う部分が互いを補完しているから惹かれ合うのです。あくまでも、前提として互いに似ていることが前提です。
このことは学閥や派閥というものを考えてもすぐに分かります。京都の長距離の先生方の中には京都教育大学の派閥があります。それは単純に京都の学校の先生における京都教育大学出身率が高いからでもありますが、ただ同じ出身大学であるというだけでなんとなく居心地が良いものだからというのが最も大きな理由です。
また、洛南高校出身の先生方もやはり洛南高校出身の先生方同士でつるみやすい傾向にあります。大学や就職で郷里を離れた時、同じ郷里からの出身だと仲良くなりやすいものです。いや、仲が良いと言えるのかどうか怪しいですが、なんとなく一緒にいると居心地が良いのです。
言語や文化も当然そうです。私は京都府生まれです。関西弁を話し、関西の文化圏に染まっています。やはり、無意識のうちに関西弁を話し、関西の文化圏の人との方が親近感を感じます。これが親和性です。
では、二つ目の自分のことを気にかけているとはどういう状況でしょうか。これは一番わかりやすいのは、運命共同体だという考え方です。今ではそうでもないかもしれませんが、昔は家族や地域の共同体というのは運命共同体でした。江戸時代までは家業を継いでいた訳ですから、好き嫌いは言っていられません。家族で協力して、事業を運営していかなければ生きていけません。
また、村全体で色々なことをやらないと生きていけない時代もずっと続いていました。近代に入るとそれは国家レベルにまでなりました。望むと望まらざるとに関わらず、日本に生まれたら日本人として闘わないと自分自身や自分の家族、故郷の人々を含めて国自体が消滅しかねない状況になりました。
こういう時、それが正しいか正しくないか、最前の策か否かは別にして、とりあえず何らかの形で全体で意志決定してことにあたらない時があります。そして、それが最前の策かどうかは分からないけれど、一つだけはっきりしていることがあります。それは運命共同体であるということです。
父親の意見が気に食わないとしても一つだけはっきりしていることは、父親だって自分と家族に最善だと思う案を提案していることははっきりしているから話を聞くのです。これが運命共同体の間に存在する信頼関係=ラポールです。
この本能を更に利用したのは学校の運動会や文化祭です。よく考えてみると、運動会というのは同じ地域に住む同じ年齢のものを集めて、勝手に先生方がクラス分けして、勝手に敵と味方に分かれさせられて争っているものです。
冷静に考えると、真面目にやる意味を見出せないというか、何故争っているのかよくわからない状態です。それでも、ひとたび上の人間が勝手に組み分けすると、自分が所属するチームが勝つと嬉しいし、負けると悔しい、これが人間の本能です。
先ずは人間の本能として運命共同体にある人の話はとりあえず聞いておくということを理解して下さい。
何故ならば、基本的に運命共同体にあるもの同士は利害が一致するからです。私とあなたが同じチームに属するならば、基本的に私とあなたの利害はチームの勝敗という形で一致するのです。
だからこそ、何が最善かは分からないにしても、互いの為に意見しているという点では一致をみるのであり、だからこそ話だけは聞こうという気持ちになるものです。
そして、それを一歩レベルアップさせたものが、あなたのことを気にかけているという状況です。一番顕著なのは、親の子に対する想いです。特に、幼少期においては子供は親の言う事をよく聞くものです。
それは親は基本的に子供のことを愛しており、自分の一番の理解者であることを理解しているからです。本能的に理解していると言っても良いのかもしれません。
先生や指導者の言う事を聞くのも大前提として、先生や指導者が自分の為に言ってくれているという信頼関係があればこそです。
大人になるにつれて専門性が高まってきたり、その子供の能力が高くなってくると、子供が親や先生、恩師の知識や経験や力量を越えてくるので、そうなると必ずしも大人の言う事を聞くとは限りません。
これはセールスパーソンも同じで、その分野の専門性がなければ人は話を聞いてくれません。ですが、その手前の最低ラインとして、自分のことを気にかけてくれている、自分の為を思って言ってくれている人の言うことは聞くし、そうじゃない人のいうことは聞かないということです。
ここまでの話をまとめると「この人は自分の気持ちを分かってくれているし、この人は私と同じタイプの人間だ」と思ってもらえる文章が書ければ、その文章は最後まで真剣に読んでもらえる確率が高いということです。
では、実際にどのような文章を書けばよいのでしょうか?
この点に関してはアドルフ・ヒトラーの著書『我が闘争』が非常に参考になります。『我が闘争』は周知のとおり?、1925年のミュンヘン一揆に失敗した後、国家反逆罪で牢屋に入れられている時に口述筆記したものです。
つまり、本人の直接の文章ではなく、口述筆記の著作です。これを本人の本とは言えないというのであれば、本人の本とは言えないスポーツ選手や有名人の本はたくさんあるでしょう。
さて、早速見てみましょう。
「労働者の子供の苦難の道
うっとうしい二部屋からなるあの地下の住居に、労働者の七人家族が住んでいるとする。五人の子供の中には男の子が一人いる。今三歳としておこう。このころは、最初の印象が子供の意識にのぼってくる頃だ。頭の良い子なら歳をとっても、このころの思い出が残っているものである。場所の狭さと過密が、お互いの関係をまずくしている。こうして往々にして争いと不和が起こる。人々は一緒に生活しているのではなく、むしろ押しあって生活しているのだ。
広い住居にいるなら、ちょっと離れていることによって、とっくに仲直りすることが出来るごく小さい対立も、ここでは果てしない、いやな争いにまで導くのだ。子供の場合はもちろん、これは我慢できる。彼らはこういう状態ではいつも喧嘩をするが、互いにすぐにけろりと忘れてしまう。
しかし、この争いが両親の間で行われ、それもほとんど毎日、内心の下品さを実際に遺憾なくさらけ出すと、こういう直感教育の結果は、徐々にではあるがついには子供たちにも及ばない訳にはいかない。このお互いの不和が、父の母に対する乱暴な暴行の形をとり、泥酔の虐待となってあらわれるときには、それはどうなるか。こういう境遇を知らないものには、想像することさえ出来ないのである。
六歳になれば、この小さな憐れむべき子供にも、大人でさえ恐ろしいと感ずる事態が分かってくる。六歳になれば、この小さな憐れむべき子供にも、大人でさえ恐ろしいと感ずる事態が分かる。道徳的に毒され、身体的には栄養不良で、かわいそうに小さい頭はしらみだらけで、この幼い「公民」は、民衆学校へ入るのである。
かろうじて読み書きだけは覚えるが、ほとんどそれで全部だ。家庭で勉強は話題にさえならない。反対である。そればかりでなく、父母は言うに耐えぬやり方で、教師と学校について、それも子供たちに向かって悪口をいう。
(中略)
この若年者が十四歳で学校を卒業すると、実際の知識や技能に関する限り信ずることが出来ない愚行と、この年頃としては身の毛のよだつような不道徳と結びついているその態度の胸糞の悪いあつかましさと、どちらがはなはだしいのか、もはや決めることができなくなっている。
このころから早くも神聖なものは何もなくなり、同じように偉大なものは何も知らず、かえって低劣な生活については鋭く感じ、よく知っているこの人間は、これから学んでいこうとする生活の中で、どのような地位につきうるのだろうか。
若い権威軽蔑者
三歳の子供から、全ての権威を軽蔑する十五歳が出来上がる。この若者は卑猥とけがらわしいもののほかには、何かより高い感激の刺激となるものは何も知らないのだ。
彼はいまや、この生活という高等な学校へ行く。
今度は、彼が子供の時に父親から摂取したと同じ生活がはじまる。かれはほっつき歩き、いつ家へ帰ったのか神でさえもご存知ない。そのうえ気分転換のために、かつては母であった崩れかかった存在をなぐりつける。神と世の中をのろい、そしてついに何か特別な原因から罪の判決を受け、少年鑑別所へぶち込まれる。
そこで最後の磨きがかけられる」
どうでしょうか?
分からない人には分からないと思います。
しかし、分かる人には分かるはずです。貧しい家に生まれ、子供だけが多く、家は狭く、両親は無学であるが故に良い職につけず、子供の面倒を見る暇もなく、家族の為に奮闘するもそのストレスの多さと狭い家の為に家庭内不和は絶えず、その悪影響は子供にも行き、いわゆる不良と呼ばれる存在になり、ヒトラーの言葉を借りるなら三文文学とエロ新聞が日常生活を占め、そして極めつけは少年鑑別所にぶち込まれる、そして、当然あまり良い職にはつけず、生まれてくる子供はまた同じ道をたどる。
生まれ育った環境で全てが決まる訳ではないし、必ずしも高学歴が良いことであるとは限りません。中卒で一つの道に進み、立派な職人さんになり、裕福な生活をしている人もいるにはいます。
しかし、私の母校の中学校の校長先生によると、どうしても家庭環境が悪いと勉強が出来なかったり、いわゆる不良と呼ばれる子供に育つ確率が高く、中卒や高校中退のまま早くに結婚し、収入が不安定な中、幼子を抱え、その子供がまた同じ道をたどる、こういった連鎖は確かに存在するそうです。
そして、そういった環境を経験した人の心にはヒトラーの言葉は響くことでしょう。その根底にある思いは単純です。
「この人なら俺たちのことを分かってくれる。この人なら俺たちの為に何かしてくれる」という想いです。そして、こういった想いが伝わるのは、何よりもヒトラー自身がそういった生活を経験していたからです。『我が闘争』から別の場所を抜粋しましょう。
「今日でもなおこの都市(筆者注 ヴィーン)は、私に悲しい思いを起こさせるだけである。この奢侈な都市の名声の中で、わたしは五年間の貧困と悲惨の時を過ごしたのである。この五年間、私はそこでまず補助労働者となり、ついでちゃちな画工になり、パンを稼がねばならなかった。日常の空腹をおさえるためにさえ、決して十分であったことのないほんのわずかなパンを、である。空腹は当時私の忠実な用心棒であった。それは一時も私から離れないただ一人であり、全てにおいて忠実に私の分け前にあずかった。私が本を買うごときに、その関心が起こった。歌劇場へ行けば、数日にわたって空腹が私の相手をした。この無情な友との闘いが続いた」
そして、ヒトラーはこういった生活が続くと人々がどうなるかも知っていました。
「就職から失職、失職から就職と急速にかわり、このようにして収入と無収入の間の制約された動揺が、長くいつまでも続くにつれて多くのものは倹約の感覚とりこうな生活配分に対する理解力を、破壊してしまうということである。
肉体は、見たところでは景気のいいときには精一杯の生活をし、不景気の時には空腹を抱えている、ということに徐々に慣れてしまう。そればかりではなく、稼ぎの良い時はその後の理性的配分を考えるが、空腹はこの配分に対するすべての注意をくつがえしてしまうのである。
同時に空腹は、苦しんでいるものたちに、あくほどの裕福な生活の像を長い蜃気楼の中で、手品のように見せ、そして利益と賃金がこれを少しでも許す限り、こういう病的な欲望を自分で抑えきれないほど、それを熱望する夢を高進させるのだ。かろうじてある職を得たものが、すぐさま理性を失い、全ての計画を忘れ、その代わりに出たとこ勝負で毎日を過ごす理由がここにある。
これはささやかな週給生活の解消にさえ導く。というのはしかもそこで利口な金の使い道を忘れてしまうからだ。初めは七日間は無理としても、五日間は足りる。その後は三日間だけ、ついには辛うじて一日だけになってしまい、結局は最初の夜に使い果たしてしまうのである。
さらに往々にして家には妻子がいる。
(中略)
男が初めから自分勝手なやり方で進み、妻が子供たちの為に全く反対の生き方をすると、悪い結果になる。争いと不和がおこり、男が妻によそよそしくなるにしたがって、彼はアルコールに近づいていく。彼は土曜日ごとに酔っぱらい、妻は自分と子供の「自己保存運動」で、わずかの金のためにつかみあいをする。
しかもそれはたいてい、工場から怪しげな酒場への途中で奪いとらねばならないのだ。ようやく日曜日の晩か月曜日の晩方、酔っぱらいに荒れ狂って、しかも最後の一銭一厘までも使い果たして家へ戻ってくる。そこで往々にして、神よ憐れみたまえ、という場面が演じられるのだ」