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執筆者の写真池上秀志

お金と濁り

 突然ですが、あなたはお金の話は汚いとか卑しいとか、あるいはお金を儲けるのは悪いことだ、後ろめたいことだ、お金持ちになろうとするのは卑しいことだと思っていますか?


 本心からそう思っていないのであれば良いのですが「人生お金じゃない」とか言いながら、いざという時にはお金でもめたり、友達や彼女に金を貸したところから関係性がおかしくなったり、いざ仕事を頼むとなるとお金でもめたり、金の切れ目が縁の切れ目になったり、そういったことが多数あるのが現実です。


 そして、そういった考え方の根底に「お金の話をするのは汚い」とか「お金を儲けるのは卑しい行為」などの考えが潜在意識レベルであり、そういった考えがお金の話を正々堂々とするという行為を妨げ、結局最後はお金でもめるということになりがちです。


 また、起業や副業をする際には更にこのことが足かせになります。お金儲けは悪いことだ、お金は人を狂わせる、そう思っている限りはなかなかお金を稼ぐことは難しいです。別に、人の10倍も20倍も稼がなくても良いです(もちろん稼いでもらっても良いです)。


 ただ、そうではなくても、お金の話が正々堂々と出来ないと、正当な報酬を受け取ることすら出来なくなります。つまりは安く買いたたかれます。


 そして、正当な報酬を受け取ることが出来ないと人は潜在意識レベルで不満を持つようになります。不満を持つと、取引したくなくなります。つまり、お客様に来て欲しいとおもえなくなるのです。


 そして、当たり前ですが、お客様が来ないと商売は成り立ちません。生活の為には来て欲しい、でも本心では「不当な取引を締結し続けている」という気持ちがあるのでやっぱりお客様は来て欲しくありません。


 こんな風に本心と建前がぶつかり続けた状態でお金を稼ぐことは非常に難しいことなのです。というかほとんど無理といっても良いでしょう。


 それが起業であれ、副業であれ、あるいは人生のありとあらゆるほかのことであっても、気持ちが一つの方向にしっかりと向かないと大きなエネルギーを生みません。ですから、こういった観点からも私の好きなことを仕事に起業するという道を極めるにはお金について正しく理解しなければならないのです。


お金の役割とお金に対する幻想

 これも潜在意識レベルでの話ですが、お金の話をするのは汚い、卑しい、お金儲けは卑しい行為だと思っている人ほどお金に対する幻想を抱いています。その幻想とはどのようなものかというと「お金には普遍的で他のものよりも優れた価値がある」というものです。


 逆説的ですが、お金の話をするのははしたないという方ほどこういった価値観を無意識のうちに持っており、それが故に「お金に興味がない」とか「人生金じゃない」という人の中には結局お金でもめる人がたくさんいるのです。


 では、私は何故そのように主張するのでしょうか?


 何故多くの人がお金に幻想を抱いていると主張するのでしょうか?


 その理由を説明するにはそもそもお金とはどのような役割を持っているのかということを客観的に理解することが必要です。ここでいうお金の役割と言うのは物凄く客観的に資本主義という仕組みでお金がどのような意味を持つのかということです。

 

 では、お金の役割とは何かということですが、それは交換券だということです。モノやサービスと交換をする交換券です。


 ですから、実質上はクーポン券と変わりがありません。農家は農作物を作る、漁師は魚を獲ってくる、建設業者は道路工事をしたり、建物を建てたりする、床屋は髪を切る、タクシーの運転手は車を運転する、売春婦は春をひさぐ、どれも社会の中で何らかの役割を果たしています。


 そして、これらの方々がそれぞれの仕事に専念することが出来るのは、自分の仕事でお金を稼いで、他のモノやサービスと交換することが出来るからです。つまり、お金とは社会の中での何らかの役割を果たしたら、それの対価として交換券をもらえるということなのです。


 ここで理解しておかなければならないのはお金が絶対的な価値を持つのではなく、お金はモノやサービス、時間や労力と対等な価値を持つということです。


 そして、実際に人間と言うのは金銭を介しないモノやサービスの交換というものを普通に行います。特に、田舎で年齢があがればあがるほど、白菜をもらったからお米で返すとか、雨漏りを直してもらったから、車の修理は任せてくれとか、ちょっとした日曜大工は俺がやるから、手紙の文面を一緒に考えてくれないかとかそういったことがなんとなく暗黙の了解で行われています。


 これは私もびっくりした話ですが、私と同じ中学校の同級生の家は近所のおっちゃんが勝手に冷蔵庫をあけてお茶を飲んでいくらしいです。嘘か本当かさすがに判別がつきませんが、田舎にいけばいくほど、金銭を介しないモノやサービスの交換というのは普通にある話です。


 人から何か物をもらったら、何か別の機会に返すという文化は日本には割と普通に根付いていると思います。ただ、問題は顔見知りの間柄ではなんとなく暗黙の了解でやれることでも、さすがに一億の同胞を抱える我が国日本という大きな共同体では、暗黙の了解では成り立たないということです。


 世界全体だとなおさら成り立ちません。


 だからこそ、金銭を介した交換がなされています。


「そんなことは言われなくても分かっている」


と言われるかもしれませんが、本当の意味で理解できている人は意外と少ないのです。


 例えばですが、いきなり「金をくれ」というのは普通は友人にもなかなか言わないと思います。


 でも「ちょっとこれ手伝ってくれへんか?」というようなことは友達同士なら頼むこともあると思います。でも、資本主義社会では時間や労力、専門知識、技術とお金が対等な関係で交換されていることを考えると、実はこれって「お金くれ」って言っているのと同じことなんです。


 では「ちょっと手伝ってくれへんか」は友達同士なら割と普通にあるのに「金くれ」は何故言えないのでしょうか?


 一つの答えとしては、友達同士なら「借りは返すものだから」というのが一つの答えでしょう。それなら、もう少し「金貸してくれ」もカジュアルにやっても良いような気がします。


 例えば、友達同士なら悩みを相談し合うということは普通だと思いますが、この前は相談にのってあげたから、今度は俺の相談にものってくれという関係性が普通なら、この前金貸してやったから今度は金を貸してくれと言う関係性ももう少しカジュアルにあっても良いと思います。


 それにも関わらず、お金の話をするのが一種のタブーになっているのは、やはり逆説的ですが多くの人がお金に対する幻想=お金に対する過度な価値観を持っているからです。


「お金が大切」なのは言うまでもありません。


 ですが、水と空気と重力とお金とどれが一番大切でしょうか?


 言うまでもなく、水と空気と重力です。お金はなくてもすぐには死にませんが、空気はものの5分で死ぬでしょう。


 また戦後の混乱期には金があってもモノがないから買えなかったと私の祖父が言っていました。お金というのはモノやサービスと交換して初めて価値があるのであって、お金だけもっていても仕方がないです。


 事業においても同じで、お金だけあっても皆から「1億円もらってもお前とは一緒に仕事をしたくない」と言われたら、それでおしまい、誰も働いてはくれません。1億円出してもお前には土地も建物も貸したくないと言われれば、店舗も構えられません。


 実際に私も年収10億円を提示されても会社員はやりたくないです。今の仕事の方がよっぽど良いです。それは私の時間と労力の方が10億円よりも価値があるからです。まあ、1年だけ頑張ってやめるという選択肢も考慮に入れなくはないですが、やっても1年ですかね。業務内容にもよりますけれども。


 おそらく、これらの話は理屈としては分かると思います。理屈としては分かると思いますが、なかなか多くの方がお金が絶対的な価値を持つという価値観から抜け出せません。では、この価値観から抜け出すにはどうすれば良いのでしょうか?


 私の提案としては三つのやり方があります。


 一つ目のやり方としては金払いを良くするということです。もう一度お金の役割を思い出してください。お金とは社会の中で皆がそれぞれ違う役割を果たしているので、それが機能するようにお金という共通の交換券を用意しているということなのです。


 ということはお金が出ていくのとお金が入ってくるのは実は等しい現象なのです。お金が出ていくというのは他人の社会的な役割に対する対価を払っているということであり、お金が入ってくるというのは自分の社会的な役割に対する対価なのです。この二つは対等な関係なのです。


 そうすると、他人にお金を払うのをケチるのであれば、それは他人に対する尊敬を欠くということであり、他者に対する敬意を払えない人が他者からも敬意を払われないというのは当然のことではないでしょうか?


 もう少し、具体的に言いましょう。他人に何かやってもらったり、他人に何かを譲ってもらう場合にはきっちりとお金を払う、それも相場よりもやや多めに支払う、そうすることで、他人に対しても逆に正々堂々とお金を要求できるようになるのです。


 自分だけ都合の良いようにはいきません。他人に正々堂々とお金を要求できるようになるには、自分もしっかりと他人にお金を払わないといけません。これが出来れば、実は他人に正々堂々とお金を要求できるようになります。自分だって払ってるんだから、あなたもちゃんと払ってよねということです。私も従業員にきちんと給料を支払っている、あなたを満足させるためになるべく良い備品や原材料を用意している、あるいは自分の知識や技能の習得にお金をかけている、だからあなたも私にしっかりとお金を払ってよねという理屈です。


 今お金がない人はクレジットカードを使ったり、借金したりしてこれをやればなおさら強い説得力になります。何故なら、お金だけではなくリスクまで背負っているからです。なんだかんだで世の中捨て身の人間の方が強いに決まっています。自分はこれだけのものをかけているんだから、あなたもそれに見合う対価は支払ってよねということです。


 自分ばっかりお金を貯めるようなやり方ではどこかで必ず調和に欠きます。ある程度は将来のことも考えて貯金をするというようなことも大切なのでしょうけれども、自分ばっかりためてお金を使えないようではダメです。気前よくお金を払えないとなかなか自分のところにも入ってきません。


 二つ目の実践方法は今度は逆に金銭を介しないモノやサービスの交換をするということです。これをやることになって、なんだ別にお金ってなくても良いんだと思えることになります。お金というものを客観的かつ中立的に見ることが出来るようになるのです。


 例えば、マッサージにいったら1時間3000円くらいはかかりますよね?


 この時に、友人同士とか夫婦でマッサージするからマッサージしてよと交渉する訳です。それで交渉が成立すれば、金銭を介せずにサービス同士が交換されたことになります。もしもこの時お金を動かすのであれば、片方がマッサージをやってもらったら3000円払えば良いのです。でも、結局もう片方もマッサージをしてもらうからまたその3000円が相手に戻ります。金銭を介しても介さなくても元さやに戻るので同じことなのです。


 あるいは外国に旅行に行く時に純金のネックレスをもっていって、タクシーの運転手に「これでどこどこまで行ってくれるか」とか交渉してみるのもまた面白いです。大抵はOKです。寧ろ、その距離にもよりますが現金よりも喜ばれます。


 余談ではありますが、ケニアに行った時は日本円での支払いはダメですが、米ドルとユーロでの支払いはかなりの確率でOKでした。米ドルもユーロもお金ではありますが、ケニアの通貨ではありません。それでも商取引が成立するというのが面白かったです。


 また、モノがないので、服でもランニングシューズでもスマホでもかなりの確率でモノやサービスを交換することが出来ます。


 例えば、ランニングシューズ1足とマッサージ2時間は簡単に交換できるでしょう。


 こういう風なことを実際にやってみて体感することが大切です。体感できるとお金というものを中立的に捉えることが出来るようになり、軽いノリでこれあげるから〇円くれませんかとか、これやるから〇円くれませんかというような交渉が平気で出来るようになっていきます。


 おススメのやり方は1つ目のやり方です。やっぱり自分でお金を捨てることで、お金に対する執着を捨てることが出来ます。お金に対する執着がなくなると、お金に対するハードルが下がるので簡単にお金が入ってきます。なじみのお店にいったら、多めに払って帰ってきたら良いんです。


 あるいは敢えて3つ目の選択肢をつけるのであれば、自分で商品やサービスに価格をつけるという訓練をして下さい。普通我々は販売価格を見て「あーこの商品はこのくらいの価値があるのか」と思ってしまいます。価値観が完全に逆転してしまっているのです。


 そうではなくて、自分でこの商品はこのくらいかな、このサービスはこのくらいかなと価格をつけていくんです。それで価格をつけていって、自分がつけた価格と同じかそれよりも安かったら買う、自分がつけた価格よりも高かったら買わないというような訓練をしてみて下さい。なんなら、自分がつけた価格よりも安かったら自分がつけた価格、つまり多めに支払っても良いでしょう。


 チェーン店では無理ですが、個人商店などでは多めに支払うことで文句を言われることはあまりありません。ちょっと変な客と思われてそれで終わりです。


 慣れるまでは難しいと思います。目の前にあるキャベツ一玉に値段をつけろと言われてもかなり難しいと思います。難しいけれど、なんでも良いから自分の中で理屈をつけていくことが大切です。


 例えば、私がキャベツを買うことによって得られるメリットは何かというと食卓が少し豊かになることです。野菜サラダは食べたいけれど、その時にキャベツがいないとちょっと主力に欠けます。とは言え、レタスで代用できないこともないです。じゃあ、レタスという手もあります。


 野菜が全くない、それも葉野菜、緑のものが全くないというのは困ります。その事態を避けるためには、1玉最大で1000円出しても良いかな。いやでも、今回1000円出すということはこれからも1玉1000円出し続けなければいけない、それはちょっと高すぎるかな、じゃあやっぱり最大500円までかな。キャベツ1玉で3日くらいは持つから、1日あたり200円を切ってくる、まあこのあたりが上限かなーとかそんな感じです。


 最終的には、その人の価値観と金銭事情によって変わってくるでしょうし、当然比較も大切になります。レタスが200円なら、キャベツもやっぱり1玉200円までが上限だとか。そうやって考えると、やっぱりブランド肉は高いなと私は思います。私は絶対に買わないです。


 ただ、これに人がからんできたらまた話が変わって、人が喜んでくれたら嬉しいので、人にごちそうする時には買うこともあります。


 つまり、何に対してどれだけの価値があるのかというのを自分の物差しで測る癖をつけておくということです。これを繰り返していくと、どうなるかというと自分の物差しというものが出来てきます。


 この物差しが出来てくると私のように長距離走、マラソンの目標達成やお悩み解決に関わるものであれば、1時間15000円でズームコンサルやりますよ、ただし、洗剤の会社で誰かの指示通りに月300時間働くのであれば年収10億円でも嫌ですよみたいな価値観がしっかりと出来てくる訳です。


 そうすると、交渉でも自信が持てると言いますか、少なくとも後悔はしなくなります。その仕事なら1万円ですよとか100万円ですよみたいなことを平気で言えるようになります。


 逆に、場合によってはそれならタダでも良いですよみたいなこともあります。この場合、安くしてあげてタダになったわけじゃなくて、私はタダでも良いと思ったからタダで良いんです。


 逆に私がその仕事は10万円って思ったら、何もぼったくろうとしている訳ではなく、がめつく金よこせと言っている訳じゃなく、非常に中立的な意味合いにおいて10万円なんです。だから、なんの後ろめたさもなく請求できます。


 あなたが望むと望まないとに関わらず、起業や副業を始めるのであれば、お金の話を中立的に出来るようになるというのは最低条件です。是非参考になりますと幸いです。


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筆者紹介

​ウェルビーイング株式会社代表取締役 池上秀志

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 2017年9月からブログを書き始め、サイトの収益化に苦戦する。サイトを立ち上げてから初めの約2年半はほぼ無収入。ウォールストリートで年に50億円稼いでいたセールスの天才ジョルダン・ベルフォートより直線説得法を学び、初めての月間20万円、30万円、40万円、50万円と記録を更新し続け、3回目の緊急事態中に自宅から一歩も出ずに月100万円を達成。

 

 現在はブログやユーチューブなどの無料コンテンツの利用者は月間10万人、オンラインと電話だけで、対面営業無しで年間数百人の新規顧客を開拓し続け、年収3000万円。好きなことを仕事にしたい人や顧客獲得に悩む経営者の悩みを解決し、サポートしています。

​ ジョルダン・ベルフォートの直線説得法認定コースを2021年4月2日に修了する。

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